ベイビー・ブルー(半分、エマとこんがらがって)


エマが初めて喋った言葉は「ムーンライト」(正確には「みゅーんらぁいとぅ」)であったことをここに記そうと思う。パパではないのが残念だけれど、それでもエマが『In Moonlight Black Boys Look Blue?』(月夜の下で黒人少年は青く見えるか?)を選んだことは誇りだ。記念すべき日だ。ただ、観ているだけでも美しいこの映画は説明的でなければならなかったのだろうか。全てを理解してもらおうとしていたのだろか。戯曲を映画化する場合、説明的になるか、全てをすっ飛ばすかの選択を迫られるが、前者は賞ビズの世界を狙うギラギラしている人が選び、後者はのちにカルト化する人が選ぶ。先見の明にこだわりたい人はここで見分ければ良い。話は逸れたしこれからも逸れるが、まずは一番好きなシーンに自分をブチ込んでエマを祝おう。

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「ブルーに生まれついて」
ムーンライトでアフロアメリカンが学んだ事を瞬時にやってのけたのが、わたしは幸福(フェリシテ)である。あろうことか、最初から画面が青い。笑 両作品を続けて劇場で観た俺は面食らい、すぐにブログに書いたが、このことに触れている文章は未だ俺以外いないのは何故だろう。あの青さは俺の錯覚だろうか。ダンケルク並みに青いけれども。笑


「家を片付けていると」
まだ住めるように感じてしまう。これが住めないのだからおかしい話だ。何がおかしいのかと言われてしまうと、もう床がおかしいだとか、壁がおかしいだとか、屋根がおかしいとか、柱がおかしいとか、いろいろ出てくるので、住めないのだろう。やるせない気持ちになるが、笑ってコラえて。もしくは笑って許して。などと歌い、笑いながら許される人という贖罪の竹中直人に成り代わり、掃除機で土を吸っている。取り壊されるのに掃除をしている俺はどう見ても贖罪の竹中直人だろう。どう見ても。

「たまにはこんな話もしたい」
土屋太鳳にたまらなくフェティッシュを感じる俺はYさんと『チア☆ダン』の主演の話になった際、土屋パイパイと言ってしまった。Yさんはドン引きながらも笑ってくれたが、俺は恥ずかしさのあまり、ここで書いて成仏させようと誓った。土屋パイならまだしも、土屋パイパイはいけない。


エマがいること、Yさんと話すこと、文章を書くことが今の救いだ。誰彼も救いが増え、救われる命が増えることさえ祈っている。家が戻るまでは。