ゲリラ朗読武者修行


あまりに腹が減り、大雨の中、家を飛び出してマクドに来た。俺は最早軽躁を通り越してかなり病的なところにいる気がしてならない。ちなみに本日のマクドは2度目だ。何かを抱いて歩き、何かを手放してここへ来たのは良いが、読むのは本ばかりで人の心はいつも遠くにある。それは鬱の時の俺なのだけれど、今は考えないでおこう。


「ゲリラ朗読武者修行」
こんな思いつきは躁の時だけだろうが、これをこなせるのも躁の時だけだろう。血は立ったまま眠っているほど、パリは現在燃えておらず、心のパキスタンは燃えているところ。無人キャッシュレス書店で客に声をかけて朗読しても良いか聞く。笑 そんなこと、良いのだろうか。鬱の時はこう考えてキャンセルしようかと苦しんだ。しかし躁転して、やってまえ精神が強迫観念のように押し寄せて俺はプリンタで詩を刷りまくっていた。6回の朗読と2度の拒絶、俺の心は汗と精液がとめどなく溢れ、顔は笑みで溢れていたが、周りにいたもれなく全員が苦笑いだった。笑 そりゃそうだろう。朗読を聴きに無人キャッシュレス書店に来る人なんていない。そして外国人観光客の来店。笑 『七月のピカソ』は『Picasso of July』へと変わるも、ズタボロに終わった。笑 その後全力の日本語朗読でねじ伏せるというコミュニケーションブレイクダウンによって、俺は大爆笑した(後日談として先ほど詩人による最高の進展をみせたのだが、本日はこれを書くに留めておく)。

そして鬱の気配が迫っているような気がする。あまりに間隔が短くないか?ゲリラ朗読武者修行はあまりにも代償が大きく、今日はクリニックに行く以外は殆ど寝て過ごした。というのにも関わらずこの食欲。まだ躁は続くのかもしれない。ああ、どっちなんだ。笑
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