治療のための覚書(戦争と平和)

 

ずっと躁的で、いつまで続くのかと思ってはいたのだが、ついにその時が来たかのように動けなくなってしまった。重力には逆らえないように、圧倒的に俺は布団の上で押しつぶされていて「ふぐぅぅ」だとか「アジィィィ...」だとか魚の名ばかりが口から出てしまう。エマが泣くのと同じタイミングで俺はシーツを握っては離したり、横転したりする。それは共鳴に似た偶然であるのか、エマが俺の苦しみを察知しているのか、わからないが、どちらかだと思う。俺はモンクと同じ。

 

京都で俺はジャッキー・チェンの新作映画『フォーリナー』(悪魔的だとの前評判だったが、殺すことに意識的になっているだけであとはいつも通りだった。しかし、その意識的になっているってのがヤバく、瞬殺したりする)を観た後、向かいの建物の陰で動けず、三角座りで震えていた。映画の内容がどうとかではなく、とてつもない不安、恐怖が俺を襲い「何かがどうにかなりそうだ、ダメになってしまう。俺はもう京都に居れない」東京ロッカーズの伝説を居酒屋で目撃できると後輩が言うので、俺は合流までの3時間ほど持て余していた。もう一本映画を観に行くか、丸善でひたすら本を読むか、京都グラフィーか、などと考えていたところに、この不安である。俺はとりあえず小刻みの手で加熱式タバコの電源を入れ、落ち着こうとした。しかし、ニコチンはアルコールと同じく不安を誘発する。逆効果なのだが、その時はそうは言っていられない。自分を落ち着かせる方向に持っていくのが先決だった。しかし、警備員に叱られて俺はふらふら通りを歩くことになったのだが、外国人観光客は立ち上がる直前の俺を見て「ジャパニーズジャンキー」と言っているのが聞こえた。

 

 朗読をしたのはその二日前、重力に潰されそうになりながら。

タイトル『暴君と難解で悧巧する詩の推進』

前口上『ジョージ・オーウェル、俺の朗読の場合は』

から始まり、実在の人物をモデルにした詩を朗読していく。

『OIL』

 『かいのしょうただおと』

『妻』

『ユリウス・マルティアリス(Julius Martialis)』

朗読の数十分前に古本屋で購入した『二十歳のエチュード』を遺して夭折した詩人原口統三を論じた本に影響され、さらに鬱へと突っ込んだ俺は病的なパフォーマンスに自嘲気味になりながら(つまりは常に既に微笑している)も白々しくそこに居続けた。

 

 

 「モーニング・ツリー」

俺は1週間かけてなんとか躁転した。午前3時半に目覚めて数日ぶりに風呂に入り、歯を磨き、髭を剃る。行動に力がある。そしてコンビニへ行き立ち読みをし、苺ヨーグルトを飲みながら見た朝焼けはマクドの看板から差し込み、本当に綺麗だった。

 

『芳華 youth』

 フェティッシュに溢れた甘ったるい戦争映画は見たことがなかったので戸惑ったが、だいぶんあ楽しめたが、その割に終始いじめの話だった為に気は萎えた。