ポエジー家族展望(エマよ)



4月23日の夜、入院したYさんの陣痛が無事に始まるか、始まった場合に俺は起きれるのか。心配で眠れず、家にある1番長い映画『七人の侍』(3時間20分)を観ることにしたが、3時間20分後、Yさんから陣痛がはじまったと連絡があり、俺はなぜか安心して眠ってしまった。

飛び起きてからは、Yさんと生命の神秘と向き合い、ただ励まし祈るしかなかった。生みの苦しみなどと創作における表現で使っていたが、本当の生みの苦しみは全く違っていた。なんせ俺は痛くない。Yさんは、とても強く、「痛い」や「ヤバい」「無理」「苦しい」など言わなかった。本当に凄い。そのことに泣きそうになっていたのは、俺がよろめくような「頑張れ」しか言えずにいたからでもあったが、Yさんの決意に。

「この大きな大きな産声を超える涙は、嬉しい時にだけ流してほしい」(とはいえ、涙は出ていただろうか?)

(産声がもし泣くに入るなら)そんなふうに泣くエマ。彼女はエマという。インターネット上では彼女に漢字は使わない。俺が素潜り旬で、妻はYさんだからだ。俺たち素潜り家族は、インターネットではキャラクターになる。俺の創作の登場人物になる。このブログだって創作だ。これを読むあなたは、なにが本当でなにが嘘か分からなくなるだろう。全部本当だと思ってくれてもいいし、嘘だと思ってくれても構わない。その方が気疲れしないでしょう?俺だってそう。あなたには、素潜り家族の世界をそのまま味わう事なんてできない。会えないから、インターネットから俺たちを覗くだけ。素潜り家族のことは素潜り旬がここで書く。あなたから見た俺のポエジー家族展望はここ。


「そして最後に」
エマよ、パパはいまジャーナリズムと働いているが、いつもエマを想っている。エマ生まれてくれてありがとう。Yさん、本当にありがとう。ありがとう、いつも思っているよ。

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