スーパー・リッチ・キッズ


俺の心はアラバマにあるが、アラバマに俺の心はない。エマに話はないけれど、エマに会いたい。ケンドリックラマーを耳の穴からアナリーゼするのは、正直しんどいし、チャイルディッシュ・ガンビーノも重たい。俺の中のブラックパンサー党と闘うのは、もうこりごりで俺は美しさの中を浮遊していたい。つまりカニエの言うことがわかりはじめた。しかしそれはフランク・オーシャンを裏切ることになりはじめたが、心のチャンネルをオレンジに切り替えれば実際戻って来れる。

「スーパー・リッチ・キッズ」
ポエジー家族展望レストランへようこそ。リアルラブは1エマで食べれますう。オマガー!オマガー!30回転のナットコールキングがかかる不穏な個室に通された俺は自分が喋っているかもわからなくなっていたし、思考の部屋な気もしていたが、唾はチョコの味がした。衝撃的なものが流れていき軽くなる事象が映像世界で起きており、簡単に流し見できるようになってしまっているため、誰が何をしようと音楽が流れていれば気にならなくなってしまった現代人はもはや美味しいものを食べた時に流す涙こそが純粋な感覚になってしまった。そんな中、ビーフステーキを自身で切り分ける行為に快感を覚えるようになった俺は、とにかく肉が切れれば良い事に気付いた。それからの俺は歌って踊れるジャック・ザ・リッパーとなり、それが皆の普通となり、リアルで描かれる暴力が喜ばれるようになり、全ての映画に暴力装置が敷かれる事となってから、それを終わらせるにはヒーリングミュージックが必要となり、非暴力は無味無臭なものへと変貌し、俺にはこのカオスを愛せる余裕がなくなった。だからこそ美しさにはアンニュイなセクシャルが必要となったが、それこそ暴力と非暴力に分類され、排除され、無垢なエマにまつわる全てを芸術に変えることで、
創作に喜びを感じる今。f:id:sumogurishun:20180509222853j:plain