夜に沈み込まない、ここは



夜の闇が真っ逆さまに降りて来た時にエマが横にいたら、娘だけれどそのまま空に放り投げるだろう。


それに俺は夜の暗殺者たちに追われていて儚くもそれが清算されるのは、光がひいて見えたいまなんだ。だからといってはなんだが、そのまま空に放り投げるだろう。

第1の清算
治療が進んでいくと加速度的にクスリの量が増えていき、俺は踊りながらそれを見ている。あー苦しい。見ているのが苦しい。

第2の清算
煙草を拾い集めている時に腕からテュエリー・ミュグレーのエンジェルオムの香りがして、慌てて全部捨て帰ってしまったこと。

第3の清算
思い出せない。

これらによって俺はどうにも動けずにいて、それなら娘は放り投げた方がいい。現実に。

チャプター2
受け止めるのも俺だ。全身血だらけだが、エマに血が付かないよう配慮している。おかげでエマは何にも気付いていない。いや気付いていても、血だらけだとは思わないだろう。何故なら初めから真っ赤だからだ。返り血は、簡単には見られない。


チャプター3
ケチャップと練乳を込めた甘い鉄砲に撃たれたのは妻だった。俺は抱きしめながら、吐き気を我慢していたが、離さなかった。力強く吐いたのは妻が皿の上に乗っておどけた時。

今日のクックは他でもない俺だった。


「ヌーベル・アフリカン・キュイジーヌとは何ですかあ!!」と叫びながら機関銃を乱射し、テーブルをパン屑で汚したのは、他でもない俺だった。


眉毛の剃り残し-いわゆるチンピラ眉-の酷いカルチャー(顔を付けるから良くないんだ。笑)が、俺に向かって突進して来たのを良いことに、テーブルクロスで闘牛士の真似をしてみせたのは、他でもない俺だった。

ミレニアル世代はみんなフェミニストだから、俺だってそうだし、あんただってそうだろう。しかしながら、ミレニアル世代という自覚がないばかりか、ジェンダーに関して、間違った認識をお持ちの自称詩人がジェンダーを武器にしはじめた時、刀を振り下ろすのは他でもない、俺だった。

ジェンダーを語りはじめたのが旧体制の象徴だった時、刀を振り下ろすのを見ているのは他でもない俺だった。




ゲリラ朗読武者修行


あまりに腹が減り、大雨の中、家を飛び出してマクドに来た。俺は最早軽躁を通り越してかなり病的なところにいる気がしてならない。ちなみに本日のマクドは2度目だ。何かを抱いて歩き、何かを手放してここへ来たのは良いが、読むのは本ばかりで人の心はいつも遠くにある。それは鬱の時の俺なのだけれど、今は考えないでおこう。


「ゲリラ朗読武者修行」
こんな思いつきは躁の時だけだろうが、これをこなせるのも躁の時だけだろう。血は立ったまま眠っているほど、パリは現在燃えておらず、心のパキスタンは燃えているところ。無人キャッシュレス書店で客に声をかけて朗読しても良いか聞く。笑 そんなこと、良いのだろうか。鬱の時はこう考えてキャンセルしようかと苦しんだ。しかし躁転して、やってまえ精神が強迫観念のように押し寄せて俺はプリンタで詩を刷りまくっていた。6回の朗読と2度の拒絶、俺の心は汗と精液がとめどなく溢れ、顔は笑みで溢れていたが、周りにいたもれなく全員が苦笑いだった。笑 そりゃそうだろう。朗読を聴きに無人キャッシュレス書店に来る人なんていない。そして外国人観光客の来店。笑 『七月のピカソ』は『Picasso of July』へと変わるも、ズタボロに終わった。笑 その後全力の日本語朗読でねじ伏せるというコミュニケーションブレイクダウンによって、俺は大爆笑した(後日談として先ほど詩人による最高の進展をみせたのだが、本日はこれを書くに留めておく)。

そして鬱の気配が迫っているような気がする。あまりに間隔が短くないか?ゲリラ朗読武者修行はあまりにも代償が大きく、今日はクリニックに行く以外は殆ど寝て過ごした。というのにも関わらずこの食欲。まだ躁は続くのかもしれない。ああ、どっちなんだ。笑
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治療のための覚書(戦争と平和)

 

ずっと躁的で、いつまで続くのかと思ってはいたのだが、ついにその時が来たかのように動けなくなってしまった。重力には逆らえないように、圧倒的に俺は布団の上で押しつぶされていて「ふぐぅぅ」だとか「アジィィィ...」だとか魚の名ばかりが口から出てしまう。エマが泣くのと同じタイミングで俺はシーツを握っては離したり、横転したりする。それは共鳴に似た偶然であるのか、エマが俺の苦しみを察知しているのか、わからないが、どちらかだと思う。俺はモンクと同じ。

 

京都で俺はジャッキー・チェンの新作映画『フォーリナー』(悪魔的だとの前評判だったが、殺すことに意識的になっているだけであとはいつも通りだった。しかし、その意識的になっているってのがヤバく、瞬殺したりする)を観た後、向かいの建物の陰で動けず、三角座りで震えていた。映画の内容がどうとかではなく、とてつもない不安、恐怖が俺を襲い「何かがどうにかなりそうだ、ダメになってしまう。俺はもう京都に居れない」東京ロッカーズの伝説を居酒屋で目撃できると後輩が言うので、俺は合流までの3時間ほど持て余していた。もう一本映画を観に行くか、丸善でひたすら本を読むか、京都グラフィーか、などと考えていたところに、この不安である。俺はとりあえず小刻みの手で加熱式タバコの電源を入れ、落ち着こうとした。しかし、ニコチンはアルコールと同じく不安を誘発する。逆効果なのだが、その時はそうは言っていられない。自分を落ち着かせる方向に持っていくのが先決だった。しかし、警備員に叱られて俺はふらふら通りを歩くことになったのだが、外国人観光客は立ち上がる直前の俺を見て「ジャパニーズジャンキー」と言っているのが聞こえた。

 

 朗読をしたのはその二日前、重力に潰されそうになりながら。

タイトル『暴君と難解で悧巧する詩の推進』

前口上『ジョージ・オーウェル、俺の朗読の場合は』

から始まり、実在の人物をモデルにした詩を朗読していく。

『OIL』

 『かいのしょうただおと』

『妻』

『ユリウス・マルティアリス(Julius Martialis)』

朗読の数十分前に古本屋で購入した『二十歳のエチュード』を遺して夭折した詩人原口統三を論じた本に影響され、さらに鬱へと突っ込んだ俺は病的なパフォーマンスに自嘲気味になりながら(つまりは常に既に微笑している)も白々しくそこに居続けた。

 

 

 「モーニング・ツリー」

俺は1週間かけてなんとか躁転した。午前3時半に目覚めて数日ぶりに風呂に入り、歯を磨き、髭を剃る。行動に力がある。そしてコンビニへ行き立ち読みをし、苺ヨーグルトを飲みながら見た朝焼けはマクドの看板から差し込み、本当に綺麗だった。

 

『芳華 youth』

 フェティッシュに溢れた甘ったるい戦争映画は見たことがなかったので戸惑ったが、だいぶんあ楽しめたが、その割に終始いじめの話だった為に気は萎えた。

 

 

 

ハッピーアイスクリーム・ノーリターン(構わないのは神経発達症の忘却、少しの鬱とパニックとの間で)

 

重力に押し潰されそうになりながら俺は、布団にしがみついていた。言葉にならないうめき声のようなものは、確実に俺は誰かに監視されているという感覚に陥りながらも、それは紋切り型のような症状だということがわかっていた。寝ることに対するオブセッションが最近酷くなり始めていて、昨日は沈んでいくチーズケーキスフレがずっと脳内にちらつき、上にかかっている粉砂糖が象徴的に表面に残った時に、俺が目で見ている暗闇に線が入り、飛び起きてしまった。

 

5月9日にある朗読に向けての天才的な脚本を書き上げた俺は、悦に入りながら射精の準備に入った。「ねえ、練乳やアイスクリームやキャンディ、甘いものって性に結びつくのよね。だからって精液が甘いってわけじゃないのが残念なの」画面の向こうで女優が語っている。俺は、混濁した意識の中で再び沈んでいくチーズケーキスフレがよぎり、画面を閉じて目をつむった。

 

エマが彼女なりの直線で走っている。俺は恋に似た陶酔で、写真家の女性が撮ってくれた写真を見た。そして俺たち家族は石壁の前で『化石の森』宣伝ポスターをネタにポーズを決め、嫌がるエマを無視しながら最高の一枚が生まれると信じて撮った。エマの不機嫌な動きは萩原健一のソレと通じており、一足先にその影響化から脱していた俺は、Yさんの桃井かおりを意識もせずに笑わないことだけに集中した俯き顔に感化されて瞳孔だけをひらくことにした。

 

「わあ、めっちゃいいですね。エヘヘヘヘ、ひゃっひゃ」笑うことが最大の賞賛だってことが俺たちの関係性の中で出来ており、着地点を見つけた安堵をYさんに悟ってもらい、帰路に着いたのだが、

「さっきのきのこソースのポークソテー、初めからカットしてあったね」

「美味しい料理の哲学(廣瀬純、著)の観点からしたらありえないし、この本を読んでいなかったとしても、俺はこのサービスは良しとしないよ」

なんて大好きな店、ディナーの常連の俺がランチメニューに文句垂れるだなんてと自分でも辟易していた俺の顔を、Yさんは「マクドナルドが一番好きなくせに」とでも言いたげな顔で見ているのには気づいていた。

 

 

 

 

 

 

New “JOKER” and Me



割り当てられた動きを知らされないホテルマンは眉毛を殆ど刈ってしまった。それは台詞だけでは足らず目立とうとしたからで、それに答えるかのように助監督は俺に「中国を話してくれ」と言った。

『ジョーカーへの憧れ』
眉毛を刈って戻った時、妻は驚いて噴き出し、エマは大きく泣いた。俺はもう落としてしまおうとしたが、必死に妻は止めた。「他の役が出来ないよ?」
「俺はジョーカーだって…」
口角を無理やり両親指で斜め上に引っ張ってみせると、洗顔時に泡だらけになっただけでピエロを連想し泣くエマは嘘のように笑っている。そして妻が涙を流したように見えた。

ホアキン・フェニックスは人生の喜びを謳い、悲劇は喜劇のためのbetだと言う。俺は監督からの指示に従い、喜劇は悲劇へのbetだと、つまりは日本語と英語を話した。そしてショーケン・メソッドで追悼し、やり直しを喰らうも次は上手くやり、相手役と親指を出し合って別れた。






レ・ラリーズ・デニュデ Les Rallizes Dénudés


Yさんは言う。

薬のせいか知らないけれど、たまにラリってるよ。

夜の暗殺者たちとは真逆の高揚で、つまりは裸のラリーズとは一部分の同意であるなか、俺は個室で、波瑠に似た風邪気味の女性から検査を受けている。

「ツミとショウサンはどこがおなじですか?」
「罪は、罪と罰の罪ですか?勝算とは勝つ算段ですか?」
「んっ、1つは合っています。罪です。んは、間違いは勝算で、褒め称えるほうです。ェ、称賛です」
「そうですか。与えるものですね」

この波瑠はやましい声を出している。俺はそれ気になって検査どころではなかったが、なんとか上手いことを言おうと躍起になっていた。

「下心とはなんですか?」
嘘みたいな話だが、本当に波瑠は言った。
「今。でしょうか?」

そう俺が言ったかどうかはこうなっては定かではないが、夜の暗殺者たちは俺を狙うことになるだろう。