夜に沈み込まない、ここは
夜の闇が真っ逆さまに降りて来た時にエマが横にいたら、娘だけれどそのまま空に放り投げるだろう。
今日のクックは他でもない俺だった。
「ヌーベル・アフリカン・キュイジーヌとは何ですかあ!!」と叫びながら機関銃を乱射し、テーブルをパン屑で汚したのは、他でもない俺だった。
ゲリラ朗読武者修行
あまりに腹が減り、大雨の中、家を飛び出してマクドに来た。俺は最早軽躁を通り越してかなり病的なところにいる気がしてならない。ちなみに本日のマクドは2度目だ。何かを抱いて歩き、何かを手放してここへ来たのは良いが、読むのは本ばかりで人の心はいつも遠くにある。それは鬱の時の俺なのだけれど、今は考えないでおこう。
治療のための覚書(戦争と平和)
ずっと躁的で、いつまで続くのかと思ってはいたのだが、ついにその時が来たかのように動けなくなってしまった。重力には逆らえないように、圧倒的に俺は布団の上で押しつぶされていて「ふぐぅぅ」だとか「アジィィィ...」だとか魚の名ばかりが口から出てしまう。エマが泣くのと同じタイミングで俺はシーツを握っては離したり、横転したりする。それは共鳴に似た偶然であるのか、エマが俺の苦しみを察知しているのか、わからないが、どちらかだと思う。俺はモンクと同じ。
京都で俺はジャッキー・チェンの新作映画『フォーリナー』(悪魔的だとの前評判だったが、殺すことに意識的になっているだけであとはいつも通りだった。しかし、その意識的になっているってのがヤバく、瞬殺したりする)を観た後、向かいの建物の陰で動けず、三角座りで震えていた。映画の内容がどうとかではなく、とてつもない不安、恐怖が俺を襲い「何かがどうにかなりそうだ、ダメになってしまう。俺はもう京都に居れない」東京ロッカーズの伝説を居酒屋で目撃できると後輩が言うので、俺は合流までの3時間ほど持て余していた。もう一本映画を観に行くか、丸善でひたすら本を読むか、京都グラフィーか、などと考えていたところに、この不安である。俺はとりあえず小刻みの手で加熱式タバコの電源を入れ、落ち着こうとした。しかし、ニコチンはアルコールと同じく不安を誘発する。逆効果なのだが、その時はそうは言っていられない。自分を落ち着かせる方向に持っていくのが先決だった。しかし、警備員に叱られて俺はふらふら通りを歩くことになったのだが、外国人観光客は立ち上がる直前の俺を見て「ジャパニーズジャンキー」と言っているのが聞こえた。
朗読をしたのはその二日前、重力に潰されそうになりながら。
タイトル『暴君と難解で悧巧する詩の推進』
前口上『ジョージ・オーウェル、俺の朗読の場合は』
から始まり、実在の人物をモデルにした詩を朗読していく。
『OIL』
『かいのしょうただおと』
『妻』
『ユリウス・マルティアリス(Julius Martialis)』
朗読の数十分前に古本屋で購入した『二十歳のエチュード』を遺して夭折した詩人原口統三を論じた本に影響され、さらに鬱へと突っ込んだ俺は病的なパフォーマンスに自嘲気味になりながら(つまりは常に既に微笑している)も白々しくそこに居続けた。
「モーニング・ツリー」
俺は1週間かけてなんとか躁転した。午前3時半に目覚めて数日ぶりに風呂に入り、歯を磨き、髭を剃る。行動に力がある。そしてコンビニへ行き立ち読みをし、苺ヨーグルトを飲みながら見た朝焼けはマクドの看板から差し込み、本当に綺麗だった。
『芳華 youth』
フェティッシュに溢れた甘ったるい戦争映画は見たことがなかったので戸惑ったが、だいぶんあ楽しめたが、その割に終始いじめの話だった為に気は萎えた。
ハッピーアイスクリーム・ノーリターン(構わないのは神経発達症の忘却、少しの鬱とパニックとの間で)
重力に押し潰されそうになりながら俺は、布団にしがみついていた。言葉にならないうめき声のようなものは、確実に俺は誰かに監視されているという感覚に陥りながらも、それは紋切り型のような症状だということがわかっていた。寝ることに対するオブセッションが最近酷くなり始めていて、昨日は沈んでいくチーズケーキスフレがずっと脳内にちらつき、上にかかっている粉砂糖が象徴的に表面に残った時に、俺が目で見ている暗闇に線が入り、飛び起きてしまった。
5月9日にある朗読に向けての天才的な脚本を書き上げた俺は、悦に入りながら射精の準備に入った。「ねえ、練乳やアイスクリームやキャンディ、甘いものって性に結びつくのよね。だからって精液が甘いってわけじゃないのが残念なの」画面の向こうで女優が語っている。俺は、混濁した意識の中で再び沈んでいくチーズケーキスフレがよぎり、画面を閉じて目をつむった。
エマが彼女なりの直線で走っている。俺は恋に似た陶酔で、写真家の女性が撮ってくれた写真を見た。そして俺たち家族は石壁の前で『化石の森』宣伝ポスターをネタにポーズを決め、嫌がるエマを無視しながら最高の一枚が生まれると信じて撮った。エマの不機嫌な動きは萩原健一のソレと通じており、一足先にその影響化から脱していた俺は、Yさんの桃井かおりを意識もせずに笑わないことだけに集中した俯き顔に感化されて瞳孔だけをひらくことにした。
「わあ、めっちゃいいですね。エヘヘヘヘ、ひゃっひゃ」笑うことが最大の賞賛だってことが俺たちの関係性の中で出来ており、着地点を見つけた安堵をYさんに悟ってもらい、帰路に着いたのだが、
「さっきのきのこソースのポークソテー、初めからカットしてあったね」
「美味しい料理の哲学(廣瀬純、著)の観点からしたらありえないし、この本を読んでいなかったとしても、俺はこのサービスは良しとしないよ」
なんて大好きな店、ディナーの常連の俺がランチメニューに文句垂れるだなんてと自分でも辟易していた俺の顔を、Yさんは「マクドナルドが一番好きなくせに」とでも言いたげな顔で見ているのには気づいていた。
New “JOKER” and Me
レ・ラリーズ・デニュデ Les Rallizes Dénudés
Yさんは言う。
夜の暗殺者たちとは真逆の高揚で、つまりは裸のラリーズとは一部分の同意であるなか、俺は個室で、波瑠に似た風邪気味の女性から検査を受けている。