ヒッチコックサッカー文學

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汲み上げた水に似た何かは、3月の水に流れて、打ちひしがれて、不気味なほどに煌びやかな水に似た何かの中、これはたぶん、七人の侍に出てくるような農民にしかつくれないのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかわからないけれど、俺は商店街を歩いている。エマにもう会いたくなっているが、今夜は朗読の準備をしなければならない。練習ではなく、準備である。とだけ記しておこう。もはや失敗しても練習が足りなかったという次元ではなく、朗読において詩は紙の上での即興に近いものがあり、暗記してする朗読を誇る奴はアホとしか思えない。創作物を暗記し正しく伝えることで自信が生まれるならば、頑張ってくださいとしか言えないが、俺はそんなことに興味がない。紙の上での即興こそが朗読を(俺を)楽しくさせる。

「ただし恐怖と闘うならば」
暗記は素晴らしいだろう。忘れてしまうことほど怖いものはない。あなたがたの声や顔はもちろん、仕草やカタチや何もかもが思い出せないならば、今しか生きることができず、過去や未来は存在しないと同じである。己の中には。他者から見れば別で、その場合、他者の中だけで己の過去や未来が存在する。その代わりそう意識させることで他者に己の今は存在しない。常に既に今は過ぎている。これは最早ロマンチックですらある。恐怖は時に美しい。今の日本映画の恐怖は下品である。笑 とだけ言って締める。