さらば、我が愛する枠組


見よう見まねで京劇を踊り、声を出しながら、これはどっちかっていうとコンテンポラリーダンスなのかと思いはじめ、京劇の声はそのままに鏡の前で10分ほど踊っていると、体幹が良くなっている気がしてきた。長友のヨガ友よりも、素潜り旬のオヨガリ旬の方が流行るような気がしないでもない。ヨガに切り替えてしばし瞑想までした。超越瞑想をしていると邪悪な気持ちは全て穴に向かって放出されていく。俺の場合は毛穴から出ていく。おかげで髪の毛はずっとまっすぐだ。家族で俺だけ。今日会った我が父コルレオーネも案外まっすぐ伸びていない。


「愛する惑星において恋とは?」
冷めない隕石である。ハンバーグにおける包み焼きであったり、ピビンバにおける石焼きは、美味しい食べ方である。

京都シネマ・ウィアーセクトタウン」
主人公の男はエスカレーターで上階へ向かい、女性はその先々で待ち受けるも、上階へ行けば行くほど若返っている。しかし、女性は男を追っているので記憶は男性と同じ軸にある。つまり女性はエスカレーターの流れそのもので、エスカレーターの流れは時間の流れである。それに反して男性が見てゆくのは、修行僧になれなかった女性が無垢な少女に戻っていく過程だった。

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