プリンス地蔵(哮り狂え、天狗)
突然現れた蛙に詩人ふたりが同時に心を奪われたのは、この夜ど真ん中であった。笑い転げる俺たちがゲコゲコしていて、笑いながら鳴く竹中直人のようになっていた、この夜の、ど真ん中。ナポリの曲がり角で出会った蛙にシチリアはいらない。マフィアより大切なのはギャングな心だろう。巷で話題の我慢比べは蛙にのみ通じる。家族と過ごした日々に我慢があるとすれば、それは我慢比べだ。なんて言ってみたい。踊り子の前で。それも男の。俺はプーチンよりも禿げた人と道を歩いたことはないが、お墓に消えたボスを天狗と呼んだことならある。つまりは、マフィアの逸物は春画として恍惚なチェリートマトよりも稲光が過ぎたが、穂が焦げるのは心だけだ。
ボビー・オロロロがプリンス地蔵に辿り着く前にタクシードライバーの救出劇によって助けられたが、俺が本当に見たかったのは、愛の帆には報告がつきものだと愛人をアジる姿。アイソレーションは愛想が尽きた時に単語がよぎるが、悲しみのタンゴが流れれば、ど真ん中。便器のど真ん中にコーヒーカップが浮かんでいるだろう。血の他に流れたのは白い布。あまりに速いから素麺に見えたよ。赤は革命の赤であると言ったのは、ゴダールだっけか、それともブロンズ製のグローブをハメた野茂だったっけか。フィメールラッパーコンビchelmico の好きなリリックといえば「犬派?猫は?私はタカ派」だということ。鸚鵡のSiriに愛の言葉突っ込んじゃいな。アナルコサンジカリストの甘い台詞とともに。
トミー・ザ・ジャイアントのラリアットを喰らい、法人営業の限界を知った時、臨界点が俺の尻と繋がっている感覚、もしくはアンディフグの輪郭をなぞる感覚、センチになったのはなんとなくクリスタルだからか、そこがなんとなく●〇〇●●(自主規制)だと知っている時に14歳でいたかったからか。