祈りはいつも同じ方向から来るとは限らない


人間の証明ここにあり的なモーションでアフロアメリカンの式場に現れたジーザスはパトスを更地にして、俺たちを祈った。

「祈りはいつも同じ方向から来るわけではない」
エマを抱えながら空を飛んだ時、いつミルクをあげればいいのかがわからなかった。しかし、そんなことよりもエマを抱きかかえて空を飛ぶ難しさに驚く。というよりもまず俺、空飛んでっけど。なんてキムタク的な自己分析台詞を吐いてしまうほどに。

「シグナル」

今世紀一面白いドラマはいつも韓国からやってくる。とはいえ、韓国版よりもはるかに面白いこのドラマは北村一輝がその全てを担っており、彼が出てくる時間帯と出てこない時間帯では熱量が違う。坂口健太郎の何故かイッたような驚き顔はさておき、北村一輝の演技には「常に既に受け身にまわらなければならないほどに、常に既に巻き込まれている」状態を絶妙に表す抑えられた昂りがある。

「だから今夜は背中から35秒で」
映画を見続ける。溢れるほどのインプットがなければ創作をし続けることはできない。ただ何を持ってインプットとするかだが、それは映画でなくても、仕事であっても歩いているだけでもなんでも構わないであろう。常に観察し、見ること。忘れても構わない。見ることである。いや、見なくても良い。聴いても良いし聞かなくても良い。感じて考えること。これを常にしていれば創作するものは自ずと出てくるはずだ。俺は今はペーペーだがこのまま創り続け、更新の行進をしていけば3,40代で何かが起きるだろう。笑 起きなくても何かを残しておきさえすれば、誰かの何かになる。エマの何かになる。笑 エマのゴミにならないとも限らないから、気は抜けないのだけれど。f:id:sumogurishun:20180522204746j:plain